おら、イギリスさ行くだ

田舎からイギリスのブリストルに引越しました。

行き先決定…

学生時代に出会い、卒業後も何かと接触する機会のあった先生から昨年末頃より度々連絡を頂いていました。

先生の恩師である作家さんが急逝され、遺族の方に作品を処分したいと相談されたのだそうです。作品を処分するなんてとんでもないと全ての作品の行先を決めるために帆走していたようです。

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思い起こせば、学生時代には技術は教わりましたがどうやって作品を売るかや美術でどのように生計を立てるのかはあまり教わった記憶がありません。おかっぱの周りの人々も純粋に作品作りのみで生計を立てる人はごくわずかです。

 

絵描きとは生きている間には売れないとよく聞きますが、そんな事はないと思います。生きている間に売れた絵描きは亡くなってからも売れるのだと思います。生前1枚しか絵が売れなかったと言われるゴッホも実は敏腕の画商である弟が作品を買い取ってその売上で生計を立てていたと伝えられています。誰もがよく知るピカソは、作家としての才能があったことはもちろん、商才もあったのだろうと思うようなエピソードが遺されています。

 

これは日本の場合ですが、おかっぱの知る限り、作家が亡くなるとまずやって来るのは税務署のようです。作品を相続する人に相続税が課せられるのです。税務署がやって来る前に駆けつけた画商が隠してあげると作品を持ち出してそのままうやむやになってしまう悲劇も時には起こり、作家の作品に思い入れのある家族でも重すぎる相続税に泣く泣く作品を燃やすなんて事もあるようです。

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そして、いざ学芸員がその作家を研究しようとした時に重要な資料とも言える作品が残されていないという状況も起こり得るようです。

故人との別れを悲しむよりも先にこのような修羅場が訪れるというのは非常に残念な話です。もちろんこのパターンが全てではないとは思いますが、何度かこのような話を聞く機会がありました。

 

こういった話を聞くと、なるべく多くの作品を生きている間に売っておくのが作家にとってもその後の美術の保護にとっても健全と言える気がします。

 

もう2週間ほど前の事ですが、ある方のブログのコメントに非常に共感しました。(返事が長くなりそうで考えている間に完全にタイミングを失ってしまい、申し訳ありませんでした…。)

まさに、好きというだけでは仕事にはなりませんし、売ろうとばかりしても上手くいかないものです。そこで、商才がものを言うのかと思います。

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ただし、美術を学ぶことは作家として食べていく以外の道へ進んだとしても、人生を豊かにする為に有効なことだと思います。仮に泥棒が入って家の中のもの全てを盗まれたとしても、強盗にあって身ぐるみを剥がされたとしても、心に刻まれた揺るがない価値というものは奪いようがないのです。

 

老年になってから絵を描くことを学び始める人々に英国でたくさん会いました。何歳になっても美術を学ぶことにはタイムリミットがありませんし、歳をとっても作品作りはずっと続けられるのです。

人間の心とは美しいものに触れることによって救われる事が多々あります。美しさを感じる心そのものは美術を学ぶことで育つと思います。もう駄目かも知れない…という状況をも切り抜ける想像力も美術を学ぶことによって養われると思います。

 

作品作りではありませんが、ギャラリストのように世の中に新しい価値を「作る」お仕事もありますし美術を学んで無駄になる事はないと思います。実はおかっぱも両親に大反対されて教員免許を取ると約束して半ば無理やり進学したのです…。

 

さて、冒頭の先生の作品は周りの人々の協力によって無事に写真を全て撮り終わり、回顧展とカタログの制作が決まったようです。

先生とは突然のことで辛いお別れでしたが、作品はいつまでも手にした人々の心に深く刻まれることでしょう…。

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回顧展の成功を心から願って…。

 

へば、まんず。

(秋田弁で: それでは、この辺で。)