おら、イギリスさ行くだ

田舎からイギリスのブリストルに引越しました。

謎が解けた

ブリストル村で起こったデモでエドワードコルストンの銅像が倒されて川に捨てられてから、エドワードコルストンの名前のついた建物は「安全のために」次々に名前の部分を外される事になりました。

それらの建物はエドワードコルストンが多額の寄付をして建設されたもののようです。

 

昨年の冬、おかっぱは街を散歩中に不思議なものを発見しました。おそらく何かしらの芸術作品と思ってしばらく周囲をぐるりと回って想像をふくらませていたのでした。英国の記念日にリメンバランスデーという戦争で亡くなった人々の追悼をする日があります。ちょうどその後くらいに発見したのでおかっぱは戦争にまつわる何かだろうと思っていました。様々な労働者がそこに無造作に積まれているような「作品」でした。

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戦時中に職業を奪われて戦地へ送られた人々を忘れるなという意味だろうかと勝手な想像をして記憶の片隅に追いやりました。

 

ところが、その不思議な芸術作品こそエドワードコルストンの銅像の下に並べられたものだったのです。

 

おかっぱはその作品だけに気を取られてその銅像の事などサッパリ解っていませんでした。その銅像の近くに戦争のメモリアル碑があり、その印象のままその作品の横を通ってすっかり擦り込みされてしまっていたようです。事情が解った今、銅像も含めたメッセージだったと解りました。

 

エドワードコルストンの銅像の台座は今もキチンと残っていて、デモの後からは人種差別について訴えるメッセージが後遺症のように周辺に並べられています。

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エドワードコルストンは奴隷を売買して財産を築いた慈善家です。その周辺に並べられた数々の労働者とは、売買された奴隷だったのです。エドワードコルストンの銅像が倒されたというニュースを見て、大体の場所はわかっていましたが、そこを以前通った時にはそれがエドワードコルストンであって、どんな人物なのかは全く知らなかったのでニュースを見ても正確な位置は知りませんでした。

その場所は道路に挟まれた広場のようになっており、噴水や他にも彫刻などがある場所なのです。

 

散歩の帰り道に街を通ってエドワードコルストン像の跡地は様々なメッセージが並べられており、一目見て跡地であると解りました。そしてこの場所はあの謎の芸術作品があった場所ではないか!と記憶が蘇りました。

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慈善家とは人々の役にたつための活動をする人のはずです。事実、彼は多くの病院や学校に寄付をしてたくさんの人の役には立ったようです。ただ、その裏にはたくさんの犠牲者がいたのも事実なのでしょう。

光は影を見ないと描けません。暗い出来事も輝かしい出来事も入り混じっているのがこの世の中なのだと思います。

 

エドワードコルストンの銅像も彼の慈善活動だけが輝かしく讃えられ、その犠牲になってしまった人々の存在が忘れ去られてしまったかのように見えた事が問題だった気がします。

 

果たして、歴史としてそこに銅像があってはいけなかったのでしょうか。おかっぱが昨年発見した「作品」のように隠れた犠牲者を思い出させる何かが付け加えられて別の歴史としてそこにあるのでは不十分だったのでしょうか。

 

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エドワードコルストン像は先日川から引き上げられ、美術館に展示される計画が持ち上がっているそうです。デモで公開処刑のようにされた彼をブリストル村の人々はどのように迎えるのでしょう…。

 

パンデミックで自由を奪われた人々の鬱憤のはけ口だったとしたらこの騒ぎが落ち着いたら綺麗さっぱり忘れ去られてしまうような気がしますが…。

 

へば、まんず!

(秋田弁: それでは、この辺で!)