おら、イギリスさ行くだ

田舎からイギリスのブリストルに引越しました。

延期は中止。

予定していたギャラリーの展示はこのコロナウイルスの騒ぎで予想通り延期になりましたが家にこもって絵を描く時間は増えました。

 

現在請け負っている仕事もスムーズに進み、終わりもチラリと顔を覗かせ始めました。

世の中は不安に包まれているにもかかわらず、ある意味願ってもいない充実した日々を送っているおかっぱです。

 

そんな中、久しぶりに哲学の本を読み始めてしまい、学生時代を思い出しました。そしてその本は今一度芸術の置かれた位置を考えるきっかけになりました。

なぜ学生時代を思い出したかというと、おかっぱは哲学の魅力に取り憑かれ、それまで描いていた風景やら植物、動物などという具象画を全く描かなくなり、まるで意味のわからない抽象画を描くようになった時期があります。

それらの作品にも意図やコンセプトはあったのですが説明をしてタイトルを伝えなければ見た全ての人が違った感想を伝えてくるとあっては意味のわからない絵なのでしょう。

 

3年間応募した公募展では3年目にあまりにも突然スタイルが変わったので「おかっぱさんは一体どうしてしまったのでしょう!」と審査の方がコメントしていたそうです。

 

美術の立ち位置というのは微妙な場所に在り、哲学もまた、近い場所に在るのだと思います。例えば、大学で美術を勉強したいと自分の子供が言い出すとしましょう。おかっぱには子供がいませんが、卒業後、美術でどうやって暮らしていくのだろう?という疑問を少しは抱くのではないでしょうか。芸術作品とは、確かにお腹が空いてもその空腹を満たしてくれるわけではありません。日用品としてスーパーに並べられるほどの日常感もないでしょう。更にはこのように伝染病が流行する場面においては真っ先に切り捨てられる可能性もあり、大ピンチです。

 

しかし、人間の生命維持に必要とされる条件とは、身体だけではなく心の健康が不可欠なものだと思います。

You are what you eatという言葉を聞いたことがあります。「あなたが食べるものがあなた自身である」と訳されるかと思います。これは芸術に関しても同じことだと思います。You are what you seeまたは、You are what you feel、感じるものや見えるものはあなた自身である。つまり、美しいものに触れる事とは心の栄養なのかと思います。

 

哲学とは良く生きるための考え方のヒントであり、美術を含む芸術もまた、心を健康に保つ為に必ず必要なものだと思います。

 

世の中が暗く不安を拭いきれないこんな状況だからこそ、身近にある美しいものに目を向け、気づき、誰にでも平等に与えられる一日をより良い一日にする「何か」があった方がいいのではないでしょうか。

 

ここで一句…。

延期でも 美術館は あなたの家!

 

全てが延期になったと嘆く必要はないかと思います。明日という一日は誰にでも平等にやってきます。美術を勉強するという事はつまらないように思える日常でさえ素晴らしいものに変える想像力、そして創造力を鍛えるということだと思います。

わざわざ美術品を買うのは勇気が要ると思います。しかし、世の中には便利な本の宅配サービスやインターネットもあって想像力をもって自宅を美術館にすることが可能な時代であると言えるでしょう!

 

想像力が相手とあってはさすがの延期騒ぎも延期を中止せざるを得ないでしょうねぇ。

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へば、まんず!

(秋田弁: それでは、この辺で!)