おら、イギリスさ行くだ

田舎からイギリスのブリストルに引越しました。

人生は短い。

どうも、おはえんし。

(どうも、おはようございます。)

 

ブリストルに引越して1年が過ぎ、気がつくともう少しで1年と5ヶ月になろうとしています。

秋田村で育ち、見たこともない「どこか」がとても気になった子供時代を過ごしたおかっぱでした。

 

その見たこともない世界を思い描いて東京に引越したその時は確かにとても遠い場所へやってきたという感覚になったのをおぼえています。

それと同時に、遠い場所で暮らしたとしても人間とは大きく変化することはなく、環境が違ったとしても、環境の影響で本質的な何かが変わることはそうそうないのかと思ったのでした。特に大人になり切ってしまってからは。

 

そして感覚や喜怒哀楽もどこに行ってもどこに住んでも発生源は自分であり、変わることはないものの一部かと思います。

もちろん見るものが今までと違うという新鮮さはありますがその感覚を起こす発生源そのものについては既に出来上がってしまっているものと思います。

お気楽でマイペースな秋田村民のおかっぱですが、ここに来て良い事ばかりではなく、無念という気持ちになる事ももちろんあるわけです。

 

さて、何故このようなことを突然言い始めたかと申しますと秋田村で仲良くしてくれた友人が亡くなったためです。

もう既に家族だけで葬儀は終えたようですが、「また会いましょう!」という気持ちで別れを告げた人にもう会えないとは人生何が起こるか全くわからないと再確認することになったのでした。

 

ブリストル村に引越して相方と暮らすことをとても喜んでくれたその友人は75歳の自由人であり、だいぶ年下であるおかっぱにまるで同じくらいの年であるかのように対等に語りかけてくれる方でした。

おかっぱと相方が婚姻届を出しに役所に行く時に証人として一緒に来てくれました。

 

おかっぱがイギリスに引越しをする前には、イギリスには行ったことがないから遊びに行く!と断言したため、心配したご家族の方にどうか諦めるように説得して欲しいと頼まれたこともありました。

 

去年から入院したり手術したりとSNSを通して断片的に報告をくださったのですが、手術したのだからきっとすぐに元気になるであろうと信じさせてくれるようなエネルギーに満ちたおばちゃんでした。

 

遠くに住むということはいつ訪れるかもわからない別れを覚悟しなくてはならないということと解ってはいたもののいざ目の前にそれが立ち現れると何とも言い難い気持ちになるものです。

 

亡くなったその友人は書道の先生をしていました。仕事と趣味のお茶や和裁をやるために建てたお家に住んでいました。ひとり暮らしには広すぎるようで誰かが遊びに来るととても喜んでいました。おかっぱも遊びに行く度に歩いて10分程の距離なのに帰り道が寒いやら暗いやらと理由をつけて今日は泊まっていきなさいと読書部屋を寝室として与えてくれたのでした。

 

以前秋田村に英語の先生のアシスタントとして来ていた青年が職務を終えてイギリスに帰り、再び秋田村を訪れた時にもそのお友達の家にステイしていました。

 

アシスタントの青年が秋田村を訪れている間におかっぱも東京から帰省していたのでその青年にも会ったことがあります。

おかっぱもSNSでごく稀にその青年と連絡を取っていたのですが、このお友達が亡くなったお知らせをするためにまた連絡を取ることになったのでした。

 

やはり、お互いにその友人の件は悲しく、残念な知らせでした。彼女のために杯でも交わしたいものだと言い合った所で、そういえばお互い今はどこに住んでいるのかという話題に発展したのです。

詳しい居住エリアをお互いに教えあったところ、なんと歩いて15分程の距離に住んでいたのです。

さらにおかっぱの住むエリアで奥さんがピアノを習っているため週に1度は近くに来ていると言うではありませんか。

 

以前会った時はもう7、8年前かあるいはもっと前で、その時はおかっぱもまだ東京に住んでおり、彼はブリストルの隣町のバースに住んでいると話していました。

 

おかっぱが秋田村をウロウロしている段階では彼の話はお友達から聞くだけで今後も彼とおかっぱの秋田村を訪れるタイミングが重ならない限り二度と会わないのではないかと思っていましたが急な展開です。

ここでもブリストル村の狭い世の中が発揮されましたが、これについては友達が会わせるように仕向けたのではないかとも思えてきました。

 

その彼から提案がありました。

おかっぱの近所に奥さんをピアノのレッスンに連れていく際におかっぱと相方と4人でその友達のために杯(a glass)を掲げようではないかというものでした。

いい案であると思ったおかっぱでしたが、ふと亡くなった友人の思い出が脳裏をよぎりました。

 

まぁ、一杯飲んでいきなさい。と引き止められて一杯で済んだことは一度もありませんでした。

 

彼女のためだとしたら杯(a glass)などという可愛いものではなく、ボトルでなくては彼女にとって充分でないのではあるまいか…。

 

初めて聞いた時から今でも不思議に思う英語の表現があります。

Going to the pub for a beer or six.

このsixという数、一体どこから出てくるのか不思議でしたが、複数の関わりのない人々から別々に聞く機会が何度かあったので一種の決まり文句なのかもしれませんし、twoと言う人もいました。

これは日本語で言うところの「居酒屋に一杯引っ掛けに行く」に近い表現だと思います。

 

彼女がもし元気にイギリスを訪れる事ができていたらちょっと一杯と思ってパブに行ったら気づけば6杯目なんて事も有り得る出来事だったかも知れませんが…。

 

彼女がこの世にいなくなってしまった事やもう会えない事は残念で仕方がないおかっぱですが、好きなことを沢山して好きな物を食べて飲んで自由に暮らしているのでいつ死んでも後悔がないと彼女が言ったことがあったのを思い出します。

病院で不自由にしているのは苦痛だったかも知れないと思うと寂しいながらもなんだか諦めがつくような気がします。

 

秋田村の彼女の思い出を語るために近々ボトルを掲げる行事が執り行われる予定のブリストル村から…。

 

R I P

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へば、また!

(それでは、また!)